9月のある日の観劇と交流会、
そして、ミューケン特派員による稽古場見学レポート。
ドーンのリコウラン三部作が完成しました!(拍手)
6人の特派員レポートを匿名・提出順でご紹介します。
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A
「パンッ」
演出家が手を打つ乾いた音から「李香蘭」の通し稽古がスタートした。
つい先ほどまで、俳優たちが和やかに休憩していた同じ場所とは思えない
緊張感と集中力に満たされた稽古場の空気はその場にいるだけで息苦さを覚えるほどだった。
「李香蘭」の舞台はこれまで何度も観ているが
今日ほど「謦咳に接する」距離で観たことはない。
俳優の筋肉の動きが手に取るようにわかり、息遣いまでが聞こえる距離でありながら、
俳優の目に我々見学者は映っていなかった。
あくまでも稽古、その先にある本番のステージ、そして客席にいる観客の姿。
彼らが見据えているのはそこであった。
今日の我々は観客ではなく傍観者でしかない。
だがそれで良いと思った。
早く本番が観たい。
稽古場見学を通じて、尚更その思いが強くなった。
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B
日本人でありながら、中国の歌姫「李香蘭」として数奇な運命を辿った山口淑子さんの半生を描いたこの作品。
今回良い機会だと思って参加させて頂きました。
初めて足を踏み入れる稽古場という空間にドキドキしつつ、休憩終わりの役者さん達の前に浅利慶太氏が現れた瞬間、場の空気がピリッと変わりました。
個人的には浅利さんの指導を生で見れるのかと興奮を抱きつつも、役者さん達の本番さながらの迫力ある芝居に、お稽古ということを忘れて引き込まれました。
「これは本当にあったこと。戦争を知らない今の世代にそれを知って欲しい」と、私達に優しく語りかける浅利さん。
優しさの中にも「伝えなければ」という使命感のようなものを強く感じました。
私は小さい頃から劇団四季の作品を見て育ったせいか、劇団四季を一から作ったあの浅利慶太氏が、83歳になった今でもなお、「伝えたい」という情熱を持って一つの作品と向き合っているその姿に一番感動したのかもしれません。
そしてそんな作品であるこの「李香蘭」を、自分もちゃんも受け止めたいという気持ちに駆られました。
私も歳を重ねるにつれ、戦争体験者がその内いなくなるという不安みたいなものを感じるようになってきました。過去から学ばず、いつか世の中が間違った方向に行ってしまうんではないかという漠然とした怖さ。
これからを担う私達の世代こそ特に、今観るべき作品だと思いました。
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C
日本にミュージカルを根付かせた浅利慶太先生。
最高の舞台を通して、ときめきや夢を与えてくれる魔法使い。
まさかそんな魔法使いの舞台作りの裏側を垣間見る機会をいただけるとは!
8月20日(土)、参宮橋。ミュージカル「李香蘭」の稽古場。
案内された鏡張りのスタジオで待っていると、次々に役者さんたちが集まってくる。
ウォームアップをしたり、ダンスのタイミングを相談したり。
そんな中、浅利先生が登場する。
パン、と手を打っただけで空気がキリリと引き締まり、濃密に集中していく。
魔法だ…。
今日は通し稽古とのことで、オーバーチュアが流れ始めると、目の前のスペースは一瞬で舞台に変わる。
少し身を乗り出せば鼻先が舞台上に入ってしまう近さで(この席には一体Sが何個つくだろう?)役者さんたちが歌い踊り、世界が展開していく。
押し寄せてくるような迫力の歌声に一瞬で圧倒され、思わず涙が出そうになった。端正な歌声、伝わってくるセリフ、一糸乱れぬダンスにうっとりする。歴史の荒波に揉まれる登場人物の姿に引き込まれ、いくつも役を変えながら様々な顔を生きる役者さんたちの変幻自在に息を吞む。
魔法だ…!
そうしてすっかり昭和初期の中国にトリップしていた一幕の途中、ストップが入った。舞台上の時代は昭和八年、浅利先生の産まれた年。
浅利先生は穏やかに、私たち一人一人の目を見ながら語った。
戦争の記憶は薄れつつある、その歴史を自分は語り継ぎたいと思っている、ミュージカルという形で、と。
「李香蘭」は、今私たちの生きている世界と繫がっているんだと改めて実感した。
歴史と向かいあい、今を見つめ、未来を耕す。
今回の稽古場見学では、魔法じゃない、そんな真摯な信念の一端を垣間見ることができた。
この舞台に関わる全ての人たちの思いと積み重ねの集大成の前で、自分自身は何を感じるのかな。
本番を見る日が待ち遠しい。
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D
「お稽古場を見学させていただく」なんて、ただの会社員である私とは無縁のことであり、現実とは思えないようなこと。本当に貴重な場に立ち会わせていただきました。
いままで祖父母から戦争の話を聞く機会もなく、戦争は恐ろしいものだとは思うものの、どこか現実的ではなくて、なんとなく他人事のように思っているところがあります。それに宝塚歌劇が好きなせいか、明るくハッピーなミュージカルばかり見てしまい、暗いお話や戦争を題材としたミュージカルを敬遠してしまいます。
演じるにあたり史実や戦争体験者の想いを勉強し、役者さんご自身が感じたことを表現する「舞台」だから、お稽古場の張りつめた空気感が戦争の緊迫感に思えたのではないかと感じました。舞台だからこそ伝わってくる、感じられる空気感。それが「“ミュージカル”という形で昭和の戦争を語り継いでいきたい」「今の若い人たちは戦争の事実を知らない人が多いからわかりやすく伝え続けることが大事」という浅利さんのお言葉とその想いなのかも、と肌で感じた気がしたお稽古場見学でした。
このあとどうなるのか、本番の観劇がますます楽しみです。
ありがとうございました。
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E
ミュージカルに少しでも興味のある人なら知らない人はいない。
そんな稀代の演出家、浅利慶太氏がプロデュースする
「ミュージカル李香蘭」の通し稽古を見学させていただいた。
浅利さんが稽古場に姿を見せた瞬間、その場の空気がピーンと張り詰めた。
少し空気が薄くなったのではないかと感じるほどの緊張感。
手を伸ばせば届くのではないかと思う程の距離で役者さんが躍動している。
普通に暮らしていたら一生味わうことのできない「雰囲気」である。
いくつかの出会いと巡り合わせでこのような機会をいただけたこと。
戦争を描く演目は心が締め付けられるので避けてきたが、
目を背けずに向かい合うときが来たのかもしれない。
派手さや華やかさはないが、心に訴えかける作品であることは
間違いないだろう。
稽古が始まる前、浅利さんは「まだ粗い状態」と仰っていたが、
この状態で「粗い」なんて、本番への期待がいやがうえにも高まります。
本当に至福の時でした。ありがとうございました。
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F
「殺せ!殺せ!裏切り者を!」、そんな台詞から始まる。太平洋戦争のさなか、数奇な運命をたどることになった山口淑子の半生を下敷きにして、日本と中国、そして満州における激動の時代を、わかりやすく丁寧に扱ったリアリズム演劇。「ミュージカル李香蘭」です。
8月某日、その稽古場を見学させていただく機会がありました。ありがたきご縁。企画・構成・演出は、劇団四季の創設者、浅利慶太さんです。目の前に鎮座。出演者の方々も、至近距離で通し稽古に没頭。緊迫の汗が飛んできそう。
「ミュージカル李香蘭」は、エンタテイメントを追求した作品と一線を画し、重厚なテーマを扱っていますが、変わることのない歴史と同様に、1991年の初演から大幅な演出変更などはないようで、“歴史を伝えていく”という強い想いを明確に感じます。そこに拘っていることが素晴らしく、これぞ日本に残すべきオリジナルミュージカルなのだと、一幕73ページまでの見学ながら胸に響きました。
例によって勉強不足な私としては、物語の背景となる史実や、取り巻く人物についてもっと知りたくなりました。9月、劇場で着席するまでにもう少しインプットしておこうと思います。見る作品ごとに見事な方法と新しい発見がある。今回はそれが大きいものになりそうで楽しみです。